産地情報

トキ認証米の生育確認「佐渡へ」

2012年08月20日

魚沼の生育状況 浦佐駅前(車窓から) 8/19

車窓から見る限り、埼玉から新潟まで同じように出穂期を迎えておりました。

これから穂が垂れ美味しいお米が実ります。

新潟の生育状況 長岡から燕三条駅(車窓から)

新潟の平場とも言われている、広大な穀倉地帯です。

ジェットフォイルで佐渡へ  新潟港(佐渡汽船)

ジェットフォイル 65分 カーフェリー 150分

放鳥トキ2羽発見!

平成20年にトキ10羽の放鳥をした場所です。

以降、6回放鳥され、放鳥数が91羽(生存数54) にもなりました。2012年8月20日時点

何度も佐渡に訪れていますが今回初めて放鳥トキを4羽も発見!!

突然のことで、あわててシャッターを切りましたが、広角レンズでははっきり撮れず残念・・・
※写真中央の雑木林の前に2羽飛んでいます。

朱鷺と暮らす郷づくり認証制度

生き物を育む農法(江、魚道、ビオトープの設置や冬みずたんぼ)、生き物調査の実施、農薬・化学肥料の削減などの認証基準があります。
このお米を食べていただくと、1キロ1円を朱鷺保護募金に寄付し、年々その額も増えています。(H23 360万円)

 江・ビオトープ(有機圃場)

試験放鳥前には行政と市民やボランティアにより、トキのエサとなる生き物が生息する水田、水路、河川、ビオトープなどの整備、営巣木、ねぐら木を保全する森林整備などの取組みをされてきたそうです。

トキの餌場

トキの重要な餌場である水田の生態系は、春先にはプランクトンや水生昆虫が発生し、魚類や両生類がこれを食べたり、産卵したりして、ふ化した稚魚などがトキの繁殖期の重要なエサとなります。(食物連鎖)

【エサ】
サワガニ、タニシ、ドジョウ、フナ、カエル、昆虫などを食べます。歯がないので、エサは丸のみ。

佐渡の生育状況 出穂期(しゅっすいき)

穂ばらみ(穂が出る前) → 出穂(垂直) → 開花 → 穂が垂れる

この圃場では、雑草を5回以上取り除き、手間ひまかけています。

 排水路の魚道

排水路に魚道を設けることで、田んぼの生き物を海にそのまま流さないですみます。

水路を通じて複数の水田や河川がひとつにつながり、より広範な生態系が形成されます。
※中央の白い部分が階段状になっています。

平野部(6割以上)はダムの水が使えますが、中山間地の水はため池(貯水池)を利用しています。
島全体では、ため池が約1800もあるそうです。

 トキの森公園

トキはNipponia Nipponの学名を持つ日本を代表する鳥です。

かつては、日本全国に生息していましたが、2003年10月、「キン」と名付けられた野生生まれのトキが死亡したことにより日本の野生生まれのトキは絶滅。

しかし、生息域外保全により飼育・増殖技術を開発した後、2004年から佐渡トキ保護センターを中心に野生復帰に取り組み、

2012年5月には、放鳥トキが自然界で8羽のヒナを誕生させ、38年ぶりの巣立ちが実現しました。【祝!】

早朝の真野湾 8/20

佐渡東部に位置する真野湾です。地図でみると佐渡島は中央にくびれがありますが、ここはその左側のくびれにあたります。

養殖業も盛んで、代表的なものにはカキ養殖とワカメ養殖があります。カキ養殖は塩水湖である加茂湖と真野湾で行なわれています。

写真左側の方に佐和田海水浴場があり、そこがトライアスロン佐渡国際大会のメイン会場になっています。2012年9月1日開催
佐渡国際Aタイプでは、スイム3.8km、バイク190km、ラン42.2km、トータル236kmものすごいレース。聞いて驚きました。

佐渡金山へ史跡散策 大立竪坑(登録有形文化財)

子どものとき以来の2回目の佐渡金山。
今回は坑内に入るのではなく、世界遺産登録申請中の明治近代化遺産の散策。
途中、鍵を開けてもらって施設に入ったり、一般車両では行けない場所までみることができました。

この立坑は、明治8(1875)年にドイツ人技術者の指導により、日本最初の洋式立坑(垂直坑道)として開削されました。
東西約3000m、南北600mの中央に位置し、深さは352m。このやぐらは昭和13年に建設されたもの。

明治29(1896)年、それまで皇室財産だった佐渡鉱山は三菱合資会社に払い下げになり、民営化されました。
以後、平成元(1989)年の採掘中止に至 るまで、三菱による経営が続きます。

道遊の割戸(国指定史跡)

慶長6(1601)年の佐渡金山発見初期から主要鉱脈として開発されていました。
江戸時代には主に地表部が手掘り(露天掘り)で開発されましたが、明治以降は割戸の下の部分で採掘がおこなわれていました。
横穴を掘り、上から落ちてきた鉱石をトロッコで運んでいたようです。

青化精錬所・浮遊選鉱場跡

昭和18年まで使われていました、月間7万トンの鉱石処理が可能

金山と農業(佐渡の歴史)

江戸時代の佐渡金山では、地下深くまで掘られたことから湧水が多くなり、排水が採掘量に大きく影響したため、1650年代から水上輪と呼ばれる手回しポンプが使われはじめました。
水上輪を利用して水をくみ上げるこの技術は農業にも活用され、お米の増産に大きく寄与することとなりました。

金山開発による人口増加 → 急激な米の需要増加 → 平野部に加えて海沿いや山間部の開墾 → 文化・芸能の発達 →
→ 50万人分のお米の生産能力、生き物との共生に向けた挑戦と農業が生み出す島の風景が継承されています。

 トキから学ぶ佐渡の農業

かつての里山では林業と農業が営まれることで自然を維持管理していました。
森林は用材林、薪炭林として定期的に伐採・間伐されることで木々が健全に育ち、稲作を続けていることで田んぼは自然環境の一部となり豊かな生態系と保全機能を担ってきました。

しかし、1960年代以降の高度経済成長の中で条件の悪い山間の田んぼは、減反され荒廃し、コナラ、アカマツも燃料として利用されなくなりました。

里山の生態系も崩れトキも絶滅してしまいました。絶滅する種が出てくると生態系のバランスが崩れ、大きくは地球上の生物にも影響が出てくるといわれています。

トキを住める環境を作ることは、私たちが住む地球を守ることにも繋がっています。

世界農業遺産(GIAHS ジアス)に認定

2012年6月には、このような取り組みなどから日本で初めて世界農業遺産(GIAHS ジアス)に認定されました。
※世界農業遺産は食糧や生き物、文化、風景などの豊かさを生み出す仕組みを未来へとつなげてゆくことを目的としています。

朱鷺の野生復帰というプロジェクトにより、生き物との共生できる島づくりを進め、失われた自然を取り戻そうと多くの方が連携して未来へとつないでいます。

田んぼを守り、稲作を守るとともに、田んぼの生き物を守り、環境をも守って、佐渡のお米が作られています。

 

佐渡産コシヒカリ(朱鷺と暮らす郷認証米/特別栽培)