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邪馬台国と米の栽培(お米の歴史)
2010年09月11日
お米を日本人が食べるようになったとき
米が日本に入ってきて栽培されるようになり、それまでの食べ物を追いかけて移動する生活から、定住生活となったのは容易に想像ができます。
邪馬台国と米の栽培
そのころ邪馬台国が誕生し、日本にも国家らしいものができ、かなり様変わりを始めました。
お米は、そのものだけが日本に伝わってきたはずもなく、日本へ移り住んだ人たちが自分たちの食料として米を持ってきたに違いありません。だとすれば、日本人の米食初体験は、その人たちが栽培したお米だったのでしょう。
焼き米から炊いたごはんまで
日本に初めて伝わったお米は原始米の赤長米だったといわれていますが、どのような方法で食べていたのでしょうか。
古跡などの出土品から、初めは『もみごと焼いて食べる焼き米』だったということがわかっています。
その後、文化が発達して土器ができ、土器に入れて煮たり蒸したりすることを始め、それが定着したのです。
煮たお米は、始めどろどろの「かゆ状」のもので、米だけではなくヒエやアワと一緒に煮ていたようです。
しかし次第に米の収穫量が増えると共に加熱方法にも工夫がされ、現在の炊くにつながってきたと思われます。
炊くとは
加熱とは、「煮る」「蒸す」「焼く」「炒める」「煎る」の単一加熱を言い、
炊くは、「煮る」・「蒸す」・「焼く」の複合加熱で組み立てられています。
おいしいご飯は、米を煮るだけの水温98℃のみでなく、熱伝導と水の対流および輻射熱の相乗効果で炊き上げます。
ごはんをおいしく炊いて、毎日豊かな食生活を送りましょう。