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お米保存に苦慮した時代(お米の歴史)
2010年09月11日
年1回しか収穫できない米を
お米を1年かけて食べるということは、保存をしなければなりません。しかし、日本は高温多湿の温帯気候地帯で、梅雨になると、何にでもカビが生えてしまいます。
米を精米しない玄米のままで保存して、なんとか梅雨はしのげたとしても、真夏の暑さにはまったく太刀打ちできません。
米がたくさん収穫できるようになればなるほど、保存の必要性が生じたに違いありません。
米を保存する袋や場所は
日本人たちは米を保管することを経験から覚えて工夫をしていったと思われます。
例えば、米を保存する袋には米がこぼれず風が通るようにざっくりした布を使ったり、涼しくて暗い場所のほうが保存が利くなどなど。
江戸時代には米蔵を作って米を集積し、保存しました。後にこの蔵が米騒動を引き起こす元ともなるのですが・・・。
米の倉庫で有名なのが山形県酒田市にある明治の半ば頃に作られたものです。
強い西日を避けるために倉庫の西側にはけやき等の落葉樹を植え、湿気から米を守るために建物を二重構造にしてあるのだそうです。現在でも使われているというのには驚きですね。
山居倉庫は明治26年(1893)、酒田米穀取引所の付属倉庫として建造され、築百年以上経った今も現役の倉庫として活躍しています。