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年貢米(お米の歴史)
2010年09月11日
米が年貢の代わりになった理由
ごはんを主食として米と食生活が密接につながっている日本では、米が租税の1つの形である年貢になり、その形が長い間続きました。
米は支配層の主財源に
領主が農民や民衆に課す税が年貢という形で始まったのが平安時代初期。その頃、租税は主に米で納められ(年貢米)、米は支配層の主たる財源となったようです。
凶作でも変わらない納税する米の量
安土桃山時代には、土地の生産力を計って年貢の量を決め、村や部落を一つの単位として集めて納税する方式になり、江戸時代の半ばぐらいまで続きました。
見込み生産量での納税は、米の不作時には農民を窮地に落とし入れ、とうとう農民が支配者たちに力で立ち向かおうとする一揆にまで発展することになったのです。(年貢は明治時代になって廃止されました。)




