
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お店からのお知らせ
- 【重要】新規会員登録の一時中止について
- 2025年2月21日
- お米の定期便(令和6年産)受付終了
- 2025年2月15日
- ご注文集中に伴い「指定日お届け」について
- 2025年2月10日
- 一部商品 価格改定のお知らせ
- 2025年2月7日
- 「佐賀産さがびより」数量限定販売のお知らせ
- 2025年2月6日
最新の活動日誌
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「お米」と日本文化 no,2
お米は食べ物としてばかりではなく、私たち日本人の慣習や儀礼の中にとても深くかかわりをもっています。 ■夏祭り・秋祭り 田の神に豊作を祈ったり、感謝する事に由来しているとされています。 ■田楽(でんがく) 田植えのときのおはやしや歌が始まりだと...
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お米と日本の人口
日本の人口は、約1億2千万人ですが、その昔、縄文時代 約27万人 (現在 横浜青葉区27万人) 弥生時代 約60万人 (→鳥取60万人)、奈良時代 約600~700万人 (→千葉600万)。 お米の生産量が増えるのにしたがって増加してきました...
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世界のお米(3種類)
世界中にあるお米は、3つに分類されています。 ■ジャポニカ種 日本、朝鮮半島、中国北東部、ヨーロッパの一部などで主に作られているお米。 短く丸く、炊くと粘りがでます。最近ではアメリカで「コシヒカリ」、「あきたこまち」も作っているんですよ。 ■...
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「お弁当」の歴史 (歴史シリーズ最終回)
昔のお弁当は、「干し飯」(ほしいい)と言われ、持ち歩くのに便利な食品とっして貴重だったのです。 米を蒸したり、煮たり、これを日に干して、感想させたもので、食べるときに水やお湯につけて柔らかくします。 水がなくても、良く噛めば、そのままでも食べられ...
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「どんぶりもの」の歴史
どんぶりが食器としてよく用いられるようになったのは、江戸時代の後半のことです。 最初は、おかずやお菓子を盛る器として使われていましたが、19世紀の初め、おそば屋さんがかけそばなどの器としてどんぶりを使い始めました。 やがて、うなぎ屋さんでも「鰻丼...
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「炊き込みごはん」の歴史
炊き込みごはんは、米の収穫が十分でなかった頃、米を節約するために色々な具を混ぜて炊いたのが始まりです。 欧米諸国など、穀物としては主に小麦を原料とした食べ物を食べている国々では、米は野菜のように扱われています。日本では、米に野菜や魚介類などを加えて...
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「すし」の歴史
すしは「酢し」、つまり、すっぱいものという意味からきた言葉で、「鮨」などの漢字が使われています。 魚の字が使われているのは、「すし」が魚の保存方法から生まれたからです。 ■弥生時代(なれずし) ルーツは、東南アジアの「なれずし」といわれています...
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「おにぎり」の歴史
すでに弥生時代の中ごろにはあった事が、遺跡の発掘から分かっています。 平安時代にはおにぎりは、兵士の食事として用いられていました。 おにぎりは、もともと「もち米」を蒸してにぎったものが原型ですが、鎌倉時代の末期になると主に、うるち米(普通の白米の...
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「もち米」の歴史
日本での「もち」の歴史は古く、稲作の伝来とともに東南アジアから伝わってきたと考えられています。 平安時代になると、白い「搗き餅」の他に、大豆や小豆、ごまなどの材料を加えた餅や、米の粉を用いた「ちまき」のような「粉もち」などが作られていました。 ■...
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ごはんの歴史
今のような白いごはんを食べるようになったのは、江戸時代中期(18世紀)になってからです。それまで、もみがらを取っただけの玄米は半つき米(今の5分搗き)を主に食べていたんです。 ■弥生時代 土器で、玄米を煮たり、蒸したりして食べた。 ■奈良時代...